渾身の一言

 持てるすべてを駆使した渾身の一言だ。恥を捨てて行動し、今までのことを加味し、現状を精査し、これなら大丈夫と判断しての一言だった。

しかし、今までのお道化のツケなのか、どうしようもないものになってしまった。

愛の告白か、もしくは冗談のようだった。どちらでも構いはしない。どちらでも構いはしないんだが。

 

 現実的な、言葉の役割としては、ストーカーの産声だ。その恐怖を吹き飛ばすために誰もが大声で笑った。

2

 弾丸のような一言だった。

犯罪さえ厭わない熱情を込め、本当にころすんだと覚悟を決めて引き金を引いた。こうやって書いていると、誰かが「刺したければ刺せ」と言っている気がする。

 しかし、あまりにもお道化をやりすぎてしまって、冗談を言うたびに自分にその冗談がしみ込む感覚がして、何をやってもお道化にしかならなくなってしまっているので、また、受け取る方でもそう思っているようで、反応を見たときには、声をあげて泣くときのような爽快感と一緒に、自分の無力さが、水風船を体の内外にぶつけられたように、弾けた。

 

3

 昔は違ったのにな。一言が本気とは言わないまでも、本気か冗談かわからない程度の効力はもっていた。

緊張して話せば緊張が伝わり、本気で話せば本気になってくれた。

今では冗談を言おうが本気で話そうが、笑われるだけだ。もう、昔のように、言葉に行動が伴うことはないのだろうか。

常に一人でしゃべり、周りは合いの手のように笑うだけか。

 

 私にとって惚れるというのは、どうにかこの人と付き合おうと決意することだ。

しかし、無力感ばかりが募る。どうしようもないだろう。年をくって、気力も体力も残りすくない。

まさか、本当に犯罪をするわけにもいかない。したところでいいこともない。

 

 今までの人生で学んだことは、当然のことしか起こらないということだ。

当然の帰結をいい方向に向けられるよう、行動するしかないのか。

 

 

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