スピった話vol.2

スピった話vol.2

わりと好評だったので第二回

前回のスピ話がわりと好評だったので第二回をやるで。

二回目はコケやすいのは承知の上やけど、自分の思考をアウトプットする場所がワイには欲しいんや。

 

まあワイには信仰も勧誘もなんもないから適当に話に付き合ってくれればいいやで。

意識はどこから来るか

意識はどこから生じるかという問いに明確に答えれる人はおらんと思うねん。

 

まぁ、脳って話がまず第一に出てくると思うねんけど、

そもそも考えると、脳ってただの臓器やん。

 

心臓や胃や腸と同じように、脳も神経へ電気信号を通じて命令をする臓器なわけや。

 

もっと考えてみよう。

人間を構成するものはタンパク質や。

タンパク質をも~~~っと細かく見てみると、観測できる最小の単位は素粒子や。

 

つまり、我々人間は素粒子の集合体であるわけや。

 

でもちょっと待てよと。

有機物でも無機物でも、空気も、宇宙空間でさえも素粒子は存在しているんや。

これを鑑みると、自分は宇宙の一部であり、宇宙もまた自分の一部であると言い換えることができるはずや。

 

この「世界」と呼ばれるものが、人間が観測できるかできんかは置いといて物理現象の結果やとして、

ビックバンが起こったときから宇宙の運命は決定づけられているのかもしれん。

ワイらはそれに則って行動したり、進歩したりするのかもしれん。

 

ここまでは肉体の話や。

ここから本題

肉体は上記で書いたように、運命づけられているものとして、では意識はどうやろうか。

 

肉体は素粒子で脳は電気信号によって神経に命令を伝達する臓器やったら、意識はどこから生じるんやろうか。

電気信号が意識を作り出すんやったら、そこいらの家電製品が意識を持っているかといったらそれは間違いや。

 

よく分からない話になってくるけど、ワイなりに出した答えはこうや。

 

意識は、脳の電気信号を0.5秒くらい遅れて認識しているという話を聞いたことがないやろうか。

 

この話がホンマやったとしたらつまり、意識自体は肉体の動きを0.5秒遅れて観察するただの傍観者なんや。

語弊を恐れないのであれば「魂」と言い換えてもいいのかもしれん。

 

じゃあその傍観者、つまり意識や魂はどこにいるのか。

スピ系の話で5次元とかハイヤーセルフとかがよく持て囃されてるけど正味実感しにくい話や。

そう持て囃してる人もうまく説明がつかんからそう言ってるとワイは認識した。

 

とにかく「ここではないどこか」に傍観者がいる。

 

己の肉体の機微を0.5秒遅れて観察している、ここではないどこかにあるもの、それが意識や思念・魂といったものの正体や。

それで結局何が言いたいの?

意識がただの傍観者やったら、「病は気から」みたいな言葉は生まれへんと思うねん。

考え方一つで貧乏だって楽しめる人もおるし、贅沢しててもなんか虚しいと感じる人だって居るわけや。

 

つまり意識は0.5秒遅れて肉体の機微を観測してるけど、そこに「快」「不快」が生じてくるんや。

最終的には、物事が起こった0.5秒後に意識が満足していれば「快」、していなければ「不快」や。

 

どうせ生きてるんやったら毎日楽しいほうがええやん。

そしたら、ここではないどこかにいる意識に「快」をたくさん与えて、満足な状態を長く続けることが大事やと思うねん。

楽しい人との会話や、なんとなくテンションが上がる空間に居ることや、好きな音楽を聞くことで意識が満足するやろ。

ワイはこれを波動が高まると呼んでいるんやけども。

 

意識が満足している状態が長く続けば続くほど、人生はどんどん上向いていくと思うで。

 

前回とは少し違った意識の話をしたけど、どうやったやろか。

自分が何をすれば意識が心地いいと感じるのか分からん人もおると思うねんけど、残念ながらそれはワイの範疇を超えた話や。

ワイは何かを与えることはできることはできるかもしれんけど、明らかに破滅に向かう人でも人生を無責任に担保することはできんからな。

 

ただワイは与えるだけ。与えたものをどうするかはもらった人の意識と肉体次第や。

 

こういう話題に対するみんなの意見も知りたいで!コメントしてや!

とにかくみんなも意識に「快」を生じさせて、人生を上向けて楽しく過ごせることを願ってるで。

じゃあの。

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コメント

  1. 着地点が同じとしても言い方一つで捉えられ方はずいぶん変わるってのはあるわな、ワイは科学が大の苦手で素粒子とか出てくるとちんぷんかんぷんやが意識・魂・傍観者あたりになると哲学として捉えられる範囲になるから一気に入りやすくなってくるし。

    快・不快ってのも個人がそうやって与えられたものに対して自分のフィルターをいかに使いこなすかってことやと思うわ。セロリキライキライでもミートソースに入れたら美味しくなる的な話やな(違)

  2. 考察おもしろかった!人生楽しんだ方がいいと想う派なので納得。

  3. 「快」も「不快」もあるがままとして受け止められる「ニュートラル」の帯域を広げるというのはどうでしょうか?
    スピリチュアル方面には疎いので表現が合っているかはわかりませんが、魂の器を広げる(?)

    「快」or「否」(快でない)という状態の場合、快が得られないという苦しみがどうしてもつきまとってしまう。
    また、ヒトは刺激に慣れていく生き物でもあります。「飽き」と言いますか。
    満足できる刺激を与え続けるのは難しい。
    次の快楽、また次の快楽、、と終わりの見えない欲望の連鎖です。

    もちろん、「ニュートラル」の幅の中でも快寄り/不快寄りという位置は生じると思います。
    しかし、余裕をもって受け止められる範疇に収まっている限りは少なくとも「楽しくない」/「不快だ」という苦しみに陥ることは減るはずです。
    「快」を増やすより「不快を減らす」的思考。
    加えて「快」のハードルを下げてやるトレーング。

    と、マイナス思考人間が無い頭を絞って考えてみました。メッチャ早口な長文失礼しました。

  4. 肉体の外側に意識があるって発想は私の中にも似たところがあるですが、私の場合は帰着するところは肉体、って考えですね。素粒子の集まりなんだから意識ってものがあやふやなのもで、敢えて言うなら意識と言う信号が肉体の中で、必要は快、不必要は不快と変換されるだけってイメージです。意識や魂をその人の本来の姿と見るか、肉体をその人の本体と見るか。

    どうしようもなくなった時、人は消えてしまう自由があって欲しい、と言う持論と言うか希望が私の中であるので答えを出そうとすると歪むなあ

  5. @退屈男 
    仏教の悟り、ですね。
    お釈迦様の発想は凄いよなあ

  6. @フィーエルヤッペン
    ヒトが人として生きていくための智慧は釈尊の教えにて完成しているとすら思えます。真理を覚るとはそういうことなのでしょうね。
    あとは、現代ならではの諸問題に対して我々がどれだけ柔軟に対応できるかですが・・・

    どうしようもなくなった時、消えてしまう選択肢=希望(=救い?)という考えもよくわかります。最後の大技なので使わずに済むに越したことはないですが。。

  7. 王ー!スピ話お待ちしておりましたーー!
    でも3低王国の理、難しいよ…!
    ワイ多分2割もわかんない、それでも面白い!ワクワクする。

    意識は、心臓にあると思ってた。頭部がなくても心臓さえあったら人間。
    逆に心臓だけがない宇宙人(見た目は普通の人間)もきっといると思ってる。
    まだ会ったことはないけど…。

    一昔前のスピは、不快は「そもそもないもの」で、いつも笑顔でいましょう、すべてを許しましょう、そうして波動は上がるのです、みたいな煽り耐性コンテストだった。
    そんなもんどう頑張っても出来るわけないから、真面目なやつほど闇堕ちしていくシステム。
    それで利益を得る存在がいて、ずっと操作されてたんだろうなぁ。

    それをいつ誰が変えてくれたのかまでは知りようがないけど、
    とにかく反転したから今の世があって、心からよかったなーって思ってる。こなみかん

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